映画「残菊物語」 歌舞伎界のボンボンの転落悲恋ストーリー

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溝口健二監督作品「残菊物語」、1939年(昭和14年)公開

古い映画なので画質音質は劣悪だが、思わず引き込まれる

歌舞伎界名門のボンボン、二代目尾上菊之助(花柳章太郎)と、それを支える健気な恋女房(森赫子)という、身分違いの恋を描くロミジュリ物語

歌舞伎界は今でも家柄がものを言うほど超保守的だが、映画の時代背景は封建主義ガチガチ、親の許さぬ恋愛など犯罪と同列に見られていたころで

「親がいけねぇって言ったら、いけねぇんだ!」

という江戸っ子風のセリフに全てが集約されている

それでも反対されればされるほど、恋の炎は燃え上がる

親(先代)に楯突いて東京の歌舞伎界から追放されたボンボンは、関西歌舞伎、さらにドサ回りの旅芸人一座に加わり、恋女房と一緒に泊まる今晩の宿にも困るほど経済的に窮迫する

大部屋に雑魚寝(ざこね)という超安宿に泊まり、一晩1円80銭で貸し布団を借りる場面は究極のリアリズム

世間知らずの金持ちのボンボン(若旦那)が、芸者や身分の低い女にホレて親に勘当され、浮き世の冷や水を浴びて苦労するという話は、昔から貧しい庶民に非常に好まれた

江戸時代の落語などにも似たような話が多い

本人のボンボン(若旦那)には、生まれて初めて味わう貧しい暮らしが貴重な人生経験になり、歌舞伎役者だからまさに「芸の肥やし」になりそう

物語の時代背景は、明治時代半ばくらいだろうか?

すでに鉄道や電灯もあるのだが、庶民の暮らしや風俗は、今から見たら江戸時代そのものといった感じで、私の民俗興味を大いに満たしてくれる

イギリスの鉄道みたいなコンパートメント型の列車が、駅(おそらく当時の新橋駅?)を発車する場面や、歌舞伎の劇場(芝居小屋)の内部構造が、今とは別世界のようで非常に面白い

当時の鉄道とか芝居小屋は、比較的裕福な人たちの世界だと思うが、その周囲にいる庶民の暮らしは非常に貧しく、日常生活では電灯もなく石油ランプを使っている

貧しい美女が玉の輿(たまのこし)などで社会階層を急浮上する話(「マイ・フェア・レディ」など)と、金持ちのボンボン男が社会階層を急転落する話は、どちらも庶民ウケする鉄板のストーリーのようです

上の動画はYoutubeにあったんだけど、もう著作権が切れているのか、全編無料で観れます

映画の中のお座敷で二人の芸者が、転落する前のボンボン(若旦那)の取り合い口論をする場面があります

そこで「柳橋」(やなぎばし)という地名が出る

一人の芸者が、着物の端を少しめくって二の腕を見せるのですが、この所作にも深い意味があります

東京にはかつて高級料亭が並ぶ花街があちこちにあって、その代表が

東京六花街:柳橋、新橋、赤坂、神楽坂、浅草、芳町(現在の人形町)

今でも柳橋以外には、それらしき雰囲気が少し残っていますね

今なら、銀座のクラブ街、六本木や新宿のキャバクラ街でしょうか

東京六花街の最高峰が「柳新二橋」と呼ばれていた柳橋と新橋で、しかも柳橋の芸者の方が格が上だったそうです

その柳橋の花街は衰退を続けて、最後の高級料亭が今から20年くらい前に廃業、風と共に消えていった花街文化

今では東京の下町によくある、ごく普通の静かな街並みになっています

人間と同様に街にも浮き沈みがあって、何やら栄枯盛衰の悲哀を感じます

(^_^;)

 

 

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