読書

江藤淳「妻と私」 一卵性夫婦

 

このごろ週に1回くらい近所の区立図書館へ行って、開架の中をぶらぶらしたり、検索システムに気になるキーワードを入れて書籍探しなどしています

本の貸出も返却も、昔と違って非常にスピーディで、わずか数秒で済みます

この辺の手続きが煩雑だと、面倒になって図書館から足が遠のくので、重要なことだと思います

それで帰ろうとしたら、図書館の出口に小さな本棚があり、

廃棄図書です。ご自由にお持ちください

という表示と共に、数十冊の本や雑誌が置いてありました

図書館のスペースにも限りがありますから、仕方のないことなのでしょう

何気なく見ると

講談社 現代の文学27 江藤淳

という分厚い1冊が目にとまり、もらって帰りました

江藤淳(えとうじゅん、本名:江頭淳夫、えがしらあつお)さんは、日本を代表する文芸評論家で、私が大学生のころ、私の在学していた大学で一般教養の教授をしておられました

私の出身大学(東工大、10/1から東京科学大学)は、理工系大学なので文学部とか無いのですが、一般教養課程の教授陣に人文系の一流学者をそろえていることで有名でした

江藤さんは中学高校時代から成績抜群でしたが、数学だけは大の苦手だったそうで、そんな江藤さんが一般教養とはいえ理工系大学の教授になったというのも不思議なご縁です

勝海舟「氷川清話」や福沢諭吉「福翁自伝」をテーマにした江頭教授の授業をいくつか選択したおかげで、いまでも私の幕末維新史への興味の原点になっています

ですから私にとって、江藤淳という著者名は非常になつかしく、学生時代の気分に引き戻してくれます

江藤さん自身、皇后陛下雅子さまの親戚にあたり(雅子さまの母が江藤さんのいとこ)、親戚筋に明治以降の近現代史で活躍された方も多いことが、江藤さんの幕末維新史研究の原点になっているのではないかと思います

この親戚筋の中に、水俣病公害企業チッソの元社長・江頭豊(えがしらゆたか)氏が含まれていて、それが雅子さまご成婚の大きな障害になったことは有名な話

それでも現陛下(当時の皇太子殿下)が「雅子さんでなければ!」と強くご希望になり、その困難を乗り越えられたと私は理解しています

もらってきた上記の本の目次をながめると、代表作の一つである「夏目漱石」などいくつかの論文が並んでいて、その冒頭に

成熟と喪失 ”母”の崩壊

という130ページくらいの作品があり、早速目を通しました

母子密着の日本型文化の中では

「母」の崩壊なしに「成熟」はありえない

という主張で、男性原理社会アメリカとの対比において、いくつかの戦後小説など取り上げながら、日本の近代化(西欧化)における微妙な心理的ズレを扱っています

この作品を読んだあと、江藤淳さんが今から四半世紀ほど前に自裁なさったことを思いだしました

「一卵性夫婦」と自称するほど仲の良かった最愛の奥さまにガンで先立たれ、その少し後(8か月後)の自裁で、当時は大ニュースになったのを覚えています

今も続くNHK「クローズアップ現代」でも追悼番組が組まれ、私はそのビデオを録画保管しています

奥さまの体調に変化が生じてから亡くなられるまでの1年余りの闘病記は

江藤淳「妻と私」

として出版され、20万部を超えるベストセラーになったそうです

今回これも読み直してみて、江藤淳さんの人となりが再認識できたような気持ちです

一般に男女の平均寿命の差や結婚時の年齢差があって、夫が先立つケースが圧倒的に多い訳ですが、妻に先立たれた夫が比較的短期間で後を追うのは世間によく見るところです

とくに上記の闘病記を読むと、このご夫婦が

世間でもまれに見る、相互依存の非常に強いご夫婦

だったことが分かります

奥さまとは大学(慶應義塾大学文学部)在学中に知り合い、卒業と同時にご結婚

以来41年間の夫婦生活でした

奥さまも文学ではかなりの才能の持ち主だったのですが、夫の圧倒的な才能に気付き、自分の生涯は夫の才能を最大限に発揮させるために使おう!と強く決心

夫が執筆など文学活動に専念できる完璧な環境を整え、それ以外のすべての用件や雑用は奥さまが処理し続けました

これが結果的に、奥さまに先立たれた後の江藤さんを追い詰めたことは、想像に難くありません

いま私の手元には「江藤淳全集」(全14巻)があるのですが、これに所収の大量の著作は、「一卵性夫婦」の共同作品と言えそうです

今では日本の夫婦の2組に1組は不倫問題をかかえ、それが原因かどうかはともかく、3組に1組はやがて離婚に至るそうですが、その一方でこんな「一卵性夫婦」もいたんだなぁという印象です

江藤さんは体が弱く病気がちだったのに対して、奥さまは長い夫婦生活で病気一つしたことの無い健康体でした

ですから奥さまに先立たれるという事態は、江藤さんにとって青天の霹靂、まったく想定外の大事件だったことと思います

奥さまの闘病中から江藤さん自身の体調も崩れ、葬儀が終わるのを待つように緊急入院

脳梗塞も発病して心身の不自由が残り、退院して鎌倉のご自宅に戻った江藤さんにとって、一人だけの時間は地獄だったようです(お子さんはいなかった)

自裁を決行した日、外は暴風雨の嵐で、気候天候が自殺と強い相関を持つことを裏付けるような結果でした

自裁決行の直前に書き残した文章は、以下の通り

心身の不自由は進み、病苦は耐え難し。

去る6月10日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。

自ら処決して形骸を断ずる所以なり。

乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。

けいがい【形骸】ぬけがら、むくろ、内容の無い外形だけのもの

・・・・・・・

図書館の廃棄本の棚で偶然に見つけた1冊の本

江藤さんから私への「読み直してごらん」というお誘いだったと受け止めています

(T_T)

 

 

 

今日はネコの日

▲三島由紀夫

今日2月22日は「ネコの日」です(にゃんにゃんにゃん)

作家の三島由紀夫ネコ好きだったが、奥さんがネコ嫌いだった

それで結婚したあとは、おおっぴらに猫を飼うことはなかったそうですが、近くに住む両親にチルという猫を預ける形で隠れて飼っていた

夜な夜な訪ねてくるチルのために、机の中に煮干しを入れておいた

一般に、芸術家にはネコ好きが多く、政治家にはイヌ好きが多い

何となく分かるような気がします

反知性主義の三島由紀夫、

「己の肉体を使わず得た知識を振りかざすな!」

今じゃ「知識」にすらなっていない、「ネット情報」の洪水です

歴史の年号みたいな、スマホで調べればすぐに分かる一般情報を、わざわざ脳細胞に記憶させるなんてナンセンス、というのが最近の風潮

体験主義で情報に階層を設けるなら

体験に基づく血肉化した知識

一般知識(己の肉体を使わず得た知識)

記憶する価値もない一般情報

ということでしょうか?

三島由紀夫が生きていたら、現在のネット社会をどう見たかな?

(^_^;)

 

 

 

作家五木寛之の近況 夜型は健康に悪いのか?

 

五木寛之という作家がいる

かつて「青春の門」という小説がベストセラーになって一世を風靡し、90歳を過ぎた今でもお元気そう

上の動画によると、「正午までには起きよう」と考えるが、それが出来ないと嘆くほどの超夜型

夜が明けてから床につき、夕方近くになって起きる生活

私もかつて似たような生活をしていたから、その気分はスゴくよく分かる

そんな五木寛之は、90歳を過ぎてもお元気だ

夜型が健康に良くないというのは、本当か?

世の中の健康常識には、かなりエーカゲンなものも多いと思う

確たる科学的根拠(エビデンス)も無く、誰かがテキトーに言い始めて、いつの間にか広まってしまった健康常識もありそう

「早寝早起き、三度の食事」なども、そのたぐいではないか?

私は現在、一日一食の日が多く、食べるタイミングもテキトー

カラダやココロが発する信号(欲求)に、素直に従っているだけ・・・(*)

空腹を感じたら食う

眠くなったらスグ寝る

歩きたくなったら散歩する

(酒を)飲みたくなったら飲む

時間が来たから食事をしたり就寝するという、いわゆる「規則的生活」とは無縁な毎日

食事は一回の日が多いが、眠くなったらスグ寝るので、睡眠が二回の日も多い

これは年のせいで、一回の睡眠時間が短くなったせいだろう

そんな私だが、健康が大切だとは思っている

健康にとって重要なものとは、

栄養、睡眠、運動の三要素

だと思っているので、それなりに気をつかっているが、基本は上の(*)

特に年をとってから健康を害する最大の要因

それは、免疫力の低下だと思っている

それまで静かにしていた細菌やウイルス、ガン細胞などが、免疫力が低下すると暴れ出す

上の健康三要素の他に、もう一つ重要な要素があって、ストレス

免疫力は年齢と共に低下していくが、それを加速させるのが過度のストレス

適度なストレスは健康や精神の明晰さを維持する上で有益だと思うが、過度なストレスは免疫力を低下させる

カラダやココロに過度なストレスを与えないためには、上の(*)のようなライフスタイルが良いのではないかと、私は思っている

健康法やライフスタイルは、人それぞれだと思うので、特にオススメはしません

(^_^;)

 

* * * * * * *

 

上の「眠くなったらスグ寝る」と書いて思い出したのが、李白の詩

山中与幽人対酌

両人対酌山花開

一杯一杯復一杯

我酔欲眠卿且去

明朝有意抱琴来

読み方は

山中(さんちゅう)にて幽人(ゆうじん)と対酌(たいしゃく)す

両人(りょうじん)対酌して山花(さんか)開く

一杯一杯復(ま)た一杯

我酔いて眠らんと欲す 卿(きみ)且(しばら)く去れ

明朝意有らば琴を抱いて来たれ

意味は

隠者と二人酒を酌み交わす。山の花は満開だ。

さあ一杯、そちらも一杯、それではまた一杯。

すっかり酔って眠くなった。君、ここはひとまず帰ってくれ。

明日朝、よかったら琴(きん)を持ってまた来てくれたまえ。

まさに、(*)の極致ような生活ですなぁ

「一杯一杯復一杯」は、サントリーのCMでも使われていたよね

(^_^;)

 

 

 

芥川賞「東京都同情塔」九段理江さん AIで小説書いた

 

芥川賞の受賞作「東京都同情塔」の作者である九段理江さん(33)が、

「この小説は、ChatGPTなど生成AIを駆使して書いた」

「全体の5%ぐらいは、生成AIの文章そのまま」

と、1/17の受賞会見で話したそうです

生成AIを使ったかどうかはたいした問題ではなく、それを使って何を創造するかが問われる、という至極まともな結論に落ち着きそうです

かつて文豪・永井荷風は、

「墨と筆で書かれた書状しか読まない」

と豪語していたらしい

本当にそうしたのかどうか知らんけど

やがて筆が万年筆になり、ボールペンになり、今では小説家もワープロで書くのが当たり前

音声入力メインで、キーボードすら余り使わない人もいる

世の中に始めてテレビが出たとき、当時の新聞など紙メディアは

「テレビを見ると馬鹿になる」・・・(1)

と書いて激しく攻撃しました

今では新聞とテレビが協力して

「ネットばかりやってると馬鹿になる」・・・(2)

とプロパガンダしてますが、どちらかと言えば、(2)より(1)の方が正しそうに思えます

ネットに広告収入を奪われて新聞もテレビも青息吐息ですから、ネットが死ぬほど憎いお気持ちは分かりますけど

若者がテレビを見なくなって久しいですから、テレビ視聴者は後期高齢者が多くなっています

認知症の人でも理解できるように、テレビ番組のレベル(質)をドンドン下げるのは、視聴率をとるためには仕方ないことなのかもしれません

そしてますます、聡明な若者がテレビから離れていく

私は現在、紙の新聞もテレビもめったに見ませんけど、ネットニュースはほぼ毎日見てます

関心のある国際政治系のニュースをメインに見るのですが、エンタメ系のニュースも目に入って来るし、エンタメ系の元はテレビニュースがほとんど

その中に、松本人志さんという漫才系のタレントが、いわゆる「不同意性交」をしたとかしないとかで、かなり以前から毎日延々と大々的に報道されていて、少々ビックリしています

どうでもいい話だと思うんですけど、世間は大騒ぎしているらしい

私はこの松本人志さんという人を今までよく知らなかったのですが、これだけ世間の注目を集めているという社会現象には、ちょっと興味を持っています

いまネットの世界、特にSNSやマーケティングの領域では「話題性」という言葉がキーワードになっていて、まさにその典型的なケーススタディのように思えます

この話題性とかプロパガンダの世界というのは、賢い悪党が純朴な大衆をダマすことと関係が深く、歴史的にはかなりヤバい領域です

ヒトラーの大衆扇動術は、次のように要約されると言われています

大衆は愚か者である。
同じウソを繰り返し伝えよ(やがて「真実」になる)。
共通の敵を作り、大衆を団結させよ。
敵の悪を拡大して伝え、大衆を怒らせろ。
人は小さなウソより、大きなウソにダマされる。

大衆を熱狂させたまま置け。考える間を与えるな。
利口な人の理性ではなく、愚か者の感情に訴えろ。
貧乏な者、病んでいる者、困窮している者ほどダマしやすい。
都合の悪い情報は一切与えるな。都合の良い情報は拡大して伝えよ。
宣伝を総合芸術に仕立て上げろ。大衆の視覚聴覚を刺激して感性で圧倒しろ。

ロシア(ソ連)や中国の共産党は、非合法な暴力革命や内戦で政権を奪取しましたが、ヒトラー(ナチス)は、合法的な選挙で選ばれて政権についたのです

((((;゚д゚))))

 

 

フロイトの言葉

 

宇宙よりも、地球の内部よりも、もっと分からないのが人の心かもしれません

氷山は全体の7分の1だけ海面上に姿を見せていて、人の心に似ているようです

人の心の奥深くに膨大な未知の領域があることは、大昔の人々でも薄々、気付いている人がいました

それをはっきり言葉で指摘したのがショウペンハウエル(1860没)

それをはっきり肯定したのがニーチェ(1900没)

それを理論化したのがフロイト(1939没)

フロイトの言葉を並べたのが上の動画

ギクリとする言葉もあるし、よく意味の分からない言葉もあります

(^_^;)

 

「風と共に去りぬ」映画と小説を味わう

1)映画「風と共に去りぬ」

大晦日の夜から年越しで、映画「風と共に去りぬ」を観た

4時間の長編映画なので、休憩しながら観ていたら元日の朝になった

この映画は私にとって「人生の友」と呼んでも過言ではないほど別格の存在

20歳ころに初めて観て以来、これまでに20~30回くらい観ている

観るたびに「生きる勇気」が湧き起こってくる不思議な映画だ

私の中でこれを超える映画は、たぶん永久に出ないだろう

上のYoutube動画でも流れるテーマソング「タラのテーマ」を聴くと、今も胸がジーンとしてしまい涙がにじんでくる

(T_T)

2)物語の時代背景と登場人物

時代背景は南北戦争前後のアメリカ南部で、現在の南東部、ジョージア州など、黒人奴隷を使った綿花の大農園が盛んだったエリア

当時は好景気で綿花への需要が伸びて、広大な綿花畑を所有する農園主たちは大儲けをしていた

成功した大農園主たちは、有り余る富によって大豪邸を構え、ヨーロッパの王侯貴族にも負けないようなリッチな生活をしていた

そこの長女に産まれ、なに不自由ないお嬢さま生活をしていた少女、スカーレット・オハラがこの映画の主人公で、女優ヴィヴィアン・リーが演じている

映画の冒頭、15歳の娘役を当時26歳のヴィヴィアン・リーが演じるので、やや無理があるのだが、何しろ大河ドラマでストーリーは中年になるまで続くから、26歳くらいが適任だったのだろう

当時の女性の結婚適齢期は15歳くらいで、美貌で名高いスカーレットのもとには、南部中から結婚の申し込みが殺到していた

だがやがて南北戦争が起こり、南部は敗北して大農園主たちはすべてを失うことになる

もちろんお嬢さまスカーレットも落ちぶれ果てて、毎日の食料にも不自由する

「風 wind」とは南北戦争のことで、「去りぬ gone」とは、古き良き南部の華やかな生活(ライフスタイル)が永遠に滅び去り消えてしまうこと

そんな激動する時代背景の中で、戦争前のスカーレットは、隣の大農園の長男アシュレー・ウィルクスに片思いする

ウィルクス家はいとこ同士を結婚させるのが伝統で、アシュレーはいとこのメラニー・ハミルトンと結婚してしまうのだが、スカーレットはアシュレーを諦めきれない

そしてたまたま園遊会で出会った男レット・バトラーが、スカーレットに一目惚れ

そんな男女4人が三角関係、四角関係で付いたり離れたりしながら、激動の時代を生き抜いていく物語

3)整理するとこんな感じ

スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)気の強いワガママお嬢さま

レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)荒っぽい南部の男だが、生活力にあふれる

アシュレー・ウィルクス(レスリー・ハワード)教養ある紳士だが、生活力に乏しい

メラニー・ハミルトン(オリヴィア・デ・ハヴィランド)心優しい淑女(レディ)

単純に言えば、男らしくてたくましい男がレットで、優しさと気品にあふれた淑女がメラニー

映画を初めて観た人のほとんどが、まずこの二人を好きになり、スカーレットは「いやな女」と見られがち

主役が「いやな女」というのは、最近の映画なら時々あるが、当時としては珍しかったのではないか

それだけ「風と共に去りぬ」が、非常に現代的な感覚の物語であるとも言える

実際、80年前に作られた映画で、さらにその80年前の戦争を扱っているのだが、いま観てもまったく古さを感じない

スカーレットが愛するアシュレーは、文学や芸術を愛する教養人だが、現実生活では頼りない夢想がちのダメ男で、イメージとしては太宰治を高貴にしたような感じ

太宰治がそうだったように、ダメ男にトコトン惚れてしまう女もいる

私は男だからよく分からないが、母性本能を刺激するような何かがあるのだろうか?

そんな世間的にはダメ男のアシュレーに惚れ込んで、アシュレーがメラニーと結婚した後もアシュレーを追い回すスカーレット

よく俗に

女にとって最高の男とは「最初の男」 つまり初恋の相手

男にとって最高の女とは「最後の女」 つまり現在の相手

などと言うが、スカーレットは持ち前の気の強さを発揮して、初恋の相手(しかも片思い)のダメ男アシュレーをどこまでも追いかけ回す

4)南北戦争と当時の戦争観

時代背景となったアメリカの南北戦争は、1861~65年で、日本では幕末

人類史上初めて、近代的な機械技術が兵器として戦場に大量投入された

この戦争は、一次大戦の前には史上最大の戦争で、総計70~90万人が亡くなっている

それまでの戦争は戦死者も少なく、男たちが自分の勇気を示す晴れ舞台と見られており、ちょっとしたお祭り、あるいは園遊会のように華やいだイベントと思われていたようだ

映画の冒頭でも、スカーレットと一緒にいた二人の若者が

「戦争になるなんて、ワクワクするね!」

と話していて、戦争に興味のないスカーレットをウンザリさせている

実際、当時のそれまでの戦争は、紳士と紳士の一騎打ちのような感じで、戦場での死亡率も非常に低かった

なんだか日本の鎌倉時代あたりの戦争で、「やあやあ我こそは・・・」とやっている牧歌的な光景が浮かんでしまう

「映像の世紀」というテレビ番組で、第一次大戦直前を写した場面を見たことがあるが、みんな戦争が始まると言って、お祭りの前みたいに大はしゃぎして浮かれている

第一次大戦が始まったのは7月末だったが、

「こんな戦争は、クリスマスまでに終わる」

などとノンキなことを言っている

だがそれから4年間、戦場での死亡率は急上昇し、人類は地獄を見た

どうやら「戦争は悲惨なもの」というイメージが出来たのは、ごく最近100年ちょっとのことのようだ

産業革命によって生み出された大量の機械兵器が、どれほどの殺傷力を発揮するか

それを戦場で実際に体験するまで、人類は想像(イメージ)出来なかった

それほど人間の想像力(イマジネーション)は、頼りにならないもののようだ

歴史的に「人類の三大戦争」を選ぶなら、南北戦争、一次大戦、二次大戦ということになると思うのだが、どれも4年くらいで終わっている

勝者が敗者を破壊し尽くしたり、厭戦気分が蔓延するには、4年くらいかかるということか

反論も多かろうが、男女の恋愛感情が冷めるのも4年くらいと言われており、ここでも

「戦争と恋愛は似ている」

(始めるのは簡単だが、終えるのが難しい)

という法則は有効で、人間の熱情の寿命は4年くらいのようだ

5)日本との関係

南北戦争は日本とも無関係ではない

南北戦争の始まる8年前の幕末1853年に、米国艦隊のペリーが黒船に乗って日本に来て開国を迫った

南北戦争1年前の1860年には、桜田門外で水戸浪士などによって大老井伊直弼が暗殺されている

日本が明治になって近代国家がスタートしたのが1868年(明治元年)

日本の開国に大きな役割を果たしたアメリカだが、不思議なことに、途中から日本での存在感が無くなっていく

そして当時の日本に大きな影響を与えた国が、イギリスやフランスになっていく

それはアメリカが南北戦争に突入して国内が大混乱、日本に構っている余裕が無くなったからだ

南北戦争が終わって12年後の1877年(明治10年)に西南戦争が起こり、日本も国を二分しかねないような大きな内戦をしている

アメリカ南北戦争というと、日本の幕末で大昔のことと思われがちだが、アメリカ国内の南北対立はその後も尾を引いており、現在の大統領選挙などにも影響を及ぼしている

6)小説「風と共に去りぬ」の出版と映画化

小説「風と共に去りぬ」は、マーガレット・ミッチェルによって書かれて、1936年(昭和11年)に出版された

執筆に10年近くをかけた大作で、出版翌年にピューリッツァー賞を受賞してベストセラーになった

すぐに映画化が着手され、1939年(昭和14年)に劇場公開

真珠湾攻撃が1941年(昭和16年)だから、わずか2年前

当時の日本映画は、まだ活動写真といった感じの画質の悪い白黒映画ばかりで、世界的にもまだ白黒映画が主流の時代だった

そんな時代にカラー(総天然色と呼んでいた)の4時間もの高画質映画を作った当時のハリウッドのパワーと言うか、アメリカのパワーにはスゴいものがあった

そんな国にケンカを売った日本という国も、別な意味でスゴいものがある

実際いま観ても、その画質の良さは最近の映画と遜色なく、これが戦前の映画なのかと驚く

今では「風と共に去りぬ」と言えばヴィヴィアン・リーというくらいハマリ役な感じがするが、当初は別な女優が予定されていたらしい

戦前の価値観で作られた映画なので、奴隷制度を美化しているなどの批判を浴びているが、現在の価値観で過去を批判するのは、頭の悪い中学生にでも任せておけばいいと思う

7)小説を読む

それで昨日1/6から、小説「風と共に去りぬ」を読み始めている

原作を読むのは、もちろん初めてだ

映画では省略された物語の詳細が分かって、ミステリーの伏線回収と言うか、種明かしを読んでいるようで非常に面白い

スカーレットの父は、大農園主で大金持ちなのだが、実は21歳のときに着の身着のままの無一文に近い状態で、故郷アイルランドから新大陸アメリカへ移民してきた(官憲に追われる身となり、逃げるように移民した)

そこから勤勉と才覚によって、一代で巨万の富を築いたというサクセスストーリー

なんだか映画「ゴッドファーザー」の主人公、イタリア移民のヴィトー・コルレオーネを思い出す

地元のシシリー島のヤクザ(マフィア)に命を狙われて、無一文で逃げるように移民したところもよく似ている

スカーレットの父は1800年ころの生まれ、ヴィトー・コルレオーネは1891年生まれという設定だから、約1世紀のズレがあるが、貧しい移民が演じたアメリカン・サクセス・ストーリーとしてよく似ている

そして現在でも、アメリカン・ドリームを夢見て、世界中からアメリカを目指す若者たちがいる

スカーレットの母は、さらに前の時代に移民してきたフランス系で、南部の厳格な旧家のお嬢さま

しかもこの夫婦、年の差28歳!

今は大富豪と言っても、氏素性の知れぬ成り上がり者の男が、なぜはるか年下の旧家のお嬢さまと結ばれたか、これ自体が一つのドラマになっている

「風と共に去りぬ」の大きなテーマに「土地に対する愛着」があるのだが、ここにスカーレットの父のアイルランド人気質が深く関わってくる

スカーレットの父が少女時代のスカーレットに向かって言う

「この世の中で、汗の流し甲斐があり

 死に甲斐があるのは、土地だけだ!」

この言葉の背後には、アイルランド人が味わった苦難の歴史がある

この親子の大農園があったのが、ジョージア州の「タラ」という土地で、架空の地名なのだが、今でもタラがあったとされている場所には観光客が押し寄せている

そして映画「風と共に去りぬ」の主題歌が「タラのテーマ

このブログ記事の一番上にあるYoutube動画で聴けます

ジョン・F・ケネディが初めてアイルランド系のアメリカ大統領になったとき、アイルランド系アメリカ人には、どのような感慨があったのだろうか

1400ページ以上もある大作で、まだ1割くらいしか読んでいないから、まだしばらくワクワクしながら楽しめそう

(^_^;)