このごろ週に1回くらい近所の区立図書館へ行って、開架の中をぶらぶらしたり、検索システムに気になるキーワードを入れて書籍探しなどしています
本の貸出も返却も、昔と違って非常にスピーディで、わずか数秒で済みます
この辺の手続きが煩雑だと、面倒になって図書館から足が遠のくので、重要なことだと思います
それで帰ろうとしたら、図書館の出口に小さな本棚があり、
廃棄図書です。ご自由にお持ちください
という表示と共に、数十冊の本や雑誌が置いてありました
図書館のスペースにも限りがありますから、仕方のないことなのでしょう
何気なく見ると
講談社 現代の文学27 江藤淳
という分厚い1冊が目にとまり、もらって帰りました
江藤淳(えとうじゅん、本名:江頭淳夫、えがしらあつお)さんは、日本を代表する文芸評論家で、私が大学生のころ、私の在学していた大学で一般教養の教授をしておられました
私の出身大学(東工大、10/1から東京科学大学)は、理工系大学なので文学部とか無いのですが、一般教養課程の教授陣に人文系の一流学者をそろえていることで有名でした
江藤さんは中学高校時代から成績抜群でしたが、数学だけは大の苦手だったそうで、そんな江藤さんが一般教養とはいえ理工系大学の教授になったというのも不思議なご縁です
勝海舟「氷川清話」や福沢諭吉「福翁自伝」をテーマにした江頭教授の授業をいくつか選択したおかげで、いまでも私の幕末維新史への興味の原点になっています
ですから私にとって、江藤淳という著者名は非常になつかしく、学生時代の気分に引き戻してくれます
江藤さん自身、皇后陛下雅子さまの親戚にあたり(雅子さまの母が江藤さんのいとこ)、親戚筋に明治以降の近現代史で活躍された方も多いことが、江藤さんの幕末維新史研究の原点になっているのではないかと思います
この親戚筋の中に、水俣病公害企業チッソの元社長・江頭豊(えがしらゆたか)氏が含まれていて、それが雅子さまご成婚の大きな障害になったことは有名な話
それでも現陛下(当時の皇太子殿下)が「雅子さんでなければ!」と強くご希望になり、その困難を乗り越えられたと私は理解しています
もらってきた上記の本の目次をながめると、代表作の一つである「夏目漱石」などいくつかの論文が並んでいて、その冒頭に
という130ページくらいの作品があり、早速目を通しました
母子密着の日本型文化の中では
「母」の崩壊なしに「成熟」はありえない
という主張で、男性原理社会アメリカとの対比において、いくつかの戦後小説など取り上げながら、日本の近代化(西欧化)における微妙な心理的ズレを扱っています
この作品を読んだあと、江藤淳さんが今から四半世紀ほど前に自裁なさったことを思いだしました
「一卵性夫婦」と自称するほど仲の良かった最愛の奥さまにガンで先立たれ、その少し後(8か月後)の自裁で、当時は大ニュースになったのを覚えています
今も続くNHK「クローズアップ現代」でも追悼番組が組まれ、私はそのビデオを録画保管しています
奥さまの体調に変化が生じてから亡くなられるまでの1年余りの闘病記は
江藤淳「妻と私」
として出版され、20万部を超えるベストセラーになったそうです
今回これも読み直してみて、江藤淳さんの人となりが再認識できたような気持ちです
一般に男女の平均寿命の差や結婚時の年齢差があって、夫が先立つケースが圧倒的に多い訳ですが、妻に先立たれた夫が比較的短期間で後を追うのは世間によく見るところです
とくに上記の闘病記を読むと、このご夫婦が
世間でもまれに見る、相互依存の非常に強いご夫婦
だったことが分かります
奥さまとは大学(慶應義塾大学文学部)在学中に知り合い、卒業と同時にご結婚
以来41年間の夫婦生活でした
奥さまも文学ではかなりの才能の持ち主だったのですが、夫の圧倒的な才能に気付き、自分の生涯は夫の才能を最大限に発揮させるために使おう!と強く決心
夫が執筆など文学活動に専念できる完璧な環境を整え、それ以外のすべての用件や雑用は奥さまが処理し続けました
これが結果的に、奥さまに先立たれた後の江藤さんを追い詰めたことは、想像に難くありません
いま私の手元には「江藤淳全集」(全14巻)があるのですが、これに所収の大量の著作は、「一卵性夫婦」の共同作品と言えそうです
今では日本の夫婦の2組に1組は不倫問題をかかえ、それが原因かどうかはともかく、3組に1組はやがて離婚に至るそうですが、その一方でこんな「一卵性夫婦」もいたんだなぁという印象です
江藤さんは体が弱く病気がちだったのに対して、奥さまは長い夫婦生活で病気一つしたことの無い健康体でした
ですから奥さまに先立たれるという事態は、江藤さんにとって青天の霹靂、まったく想定外の大事件だったことと思います
奥さまの闘病中から江藤さん自身の体調も崩れ、葬儀が終わるのを待つように緊急入院
脳梗塞も発病して心身の不自由が残り、退院して鎌倉のご自宅に戻った江藤さんにとって、一人だけの時間は地獄だったようです(お子さんはいなかった)
自裁を決行した日、外は暴風雨の嵐で、気候天候が自殺と強い相関を持つことを裏付けるような結果でした
自裁決行の直前に書き残した文章は、以下の通り
心身の不自由は進み、病苦は耐え難し。
去る6月10日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。
自ら処決して形骸を断ずる所以なり。
乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。
けいがい【形骸】ぬけがら、むくろ、内容の無い外形だけのもの
・・・・・・・
図書館の廃棄本の棚で偶然に見つけた1冊の本
江藤さんから私への「読み直してごらん」というお誘いだったと受け止めています
(T_T)