映画

映画「パリ、テキサス」 砂漠を放浪する男

 

最近はメンドウなので読書映画コメントは当ブログに書かないのだが、先日の「コンテナ物語」と、今日観た映画「パリ、テキサス」は、印象が強烈だったので少し書く

題名の通りテキサスが舞台で、パリで銀行強盗でもした悪党がテキサスまで逃げる、大西洋をまたいだアクション映画かと思ったら、まったく違って、前半は不条理っぽく、途中から深層心理サスペンス調

パリについてはネタバレになるので伏せる

「テキサスはアメリカより広い」などというジョークがあるが、本当に広々したテキサスの風景の爽快感を味わうだけでも、この映画を観る価値がある

実際、テキサスは日本の陸地の2倍の面積で、独立心旺盛な独自の気風が強い

もし独立すれば、GDP世界8位(イタリアと同じくらい)という、かなりの規模の国になる

実は今、アメリカ第一の州カリフォルニアが没落し、テキサスが急上昇している

この辺の事情は、当記事一番下の動画をご覧ください

映画の冒頭、ボロボロの服装の男がテキサスの砂漠を放浪している

上の予告編動画でも少し聴けるが、砂漠の風景とBGMがよく合っている

男は行き倒れて地元の医者の世話になり、そこから弟へ連絡が入って、弟の自宅へ転がり込む

そこには男の7歳の息子が、弟夫婦の子どもとして育てられているが、母親の姿が無い

なぜ男が妻子と別れて4年も放浪したのか、母親は今どうしているのかなど、謎が少しずつ解きほぐされていくプロセスが興味を引く

ストーリーがドンドン予想外の方向へ進んでいき、作品世界にグイグイ引き込まれていく

親子の愛情ものだと、日本ならお涙頂戴っぽいジメジメした話になりやすいのだが、さすがテキサス、カラっと無機質な感じがいい

登場人物は少なく、各人の演技力は高い

特に7歳の息子を演じたハンター・カーソンの自然な演技には感心した

40年前の映画なので、彼も今は48歳だが、出演作が少なく、俳優として大成はしていないようだ

40年前と言っても、映画に登場する街の風景は今と余り変わらないが、テレビがブラウン管だったり、スマホが無かったり、情報関係には古さを感じる

(^_^;)

映画「浮雲」を観る

 

昨年の秋に作家の林芙美子に興味を持って、新宿の林芙美子記念館などを訪ねたりしていた頃から、早く観たい映画だと思いつつ、やっと今日いま鑑賞しました

原作はまだ読んでいないので、その評価はできませんが、さすが日本映画を代表する名作だけあって圧倒されました

あの小津安二郎監督が、自分にはとても作れないと評価した映画が、溝口健二監督の「祇園の姉妹」と成瀬巳喜男監督の「浮雲」だそうです

私はフランス映画がダイスキでいろいろ観ていますが、世界の映画界で米国ハリウッド映画とは全く異なる独特な世界観を持った映画群となると、日本映画とフランス映画が双璧ではないかと思っています

フランス側もそう思ってるようで、フランス人の映画監督で、日本映画から強い影響を受けた人は少なくないようです

フランス人は極めてプライドが高く、フランス以外の国をたいてい下に見て馬鹿にしています(だから周辺国からフランス人は、非常に嫌われている)

これほど差別意識(中華思想)の強い国は、世界でも中国とフランスくらいで、他に無いんじゃないかな(フランス人は「ヨーロッパの中国人」と呼ばれている)

そんなフランス人、さすがにイギリスは好きではないが同レベルの先進国として評価していますが、アメリカとかドイツは田舎者扱いで、それ以下の国なんて奴隷か動物みたいな扱いをします

そんなフランス人が、日本文化には一目置いているのは面白いことです

林芙美子原作の映画では、すでに「放浪記」を観ましたが、こちらは大正~昭和初めが舞台で、作者林芙美子のパワフルさが前面に出て、貧しいながらも活力にあふれた作品

対する今日の「浮雲」は、戦前~戦後の混乱期の、男と女の関係をもっと静かにしっとりと描いています

どちらも高峰秀子主演で、パワフルな役も静かな役も、見事に演じています

女優ですから美人なのは当然として、どちらかと言えばカワイイ系の高峰秀子が、単なるカワイコちゃん演技ではなく、実に驚くほど表情の豊かさを見せています

最近1世紀以上の日本映画の歴史の中で、これほど表情豊かな(つまり演技力が高い)女優は、そうそういないように思われます

「浮雲」のストーリー自体は割と単純で、農林省の役人富岡(森雅之)が戦前戦中の仏印(ベトナム)の森林管理事務所に勤務し(たぶんノンキャリ)、そこで働いていたタイピストゆき子(高峰秀子)と恋に堕ちる

そして終戦と共に二人はボロボロになって別々に日本に戻るが、富岡には日本に妻がいて、ゆき子との約束(いずれ妻と別れる)を守らないという、実によくあるパターン

しかも富岡は、目の前に現れる女に、次から次へと目移りしてゆく

そんな優柔不断で生活力に乏しいダメ男の富岡だが、ゆき子は何がいいのか(たぶんカラダの相性がいいんだろうけど)そんな富岡と別れられずに追い求め続けるし、富岡もズルズルと不倫関係を続けます

何やら、「風と共に去りぬ」のスカーレットとダメ男アシュレーの関係を思い出します

この種のダメ男を好きになる女は世の中に多く、男である私から見ると何ともフシギなのですが、たぶんその頼りなさが母性本能を刺激しているのかな?などと思ったりもします(永遠の謎)

「この人は、私がいないとダメな人なの!」などと言い張る女を見ると、男でも時には頼りなさが武器になったりするんだなぁと思います

そして「お前が甘やかすから、ダメなままなんだよ」などと言ってやりたい衝動にもかられます(バカバカしいから、そんな野暮は言わないけど)

ゆき子は生活のために紳士的な米兵の情婦(パンパン)になったりして、この辺の「焼け跡闇市」の情景描写には興味を引かれます

ふつう戦争に負けて占領軍(進駐軍)が入って来ると、虐殺とか強姦が山ほど起きるのが世界史の常識で、現在のウクライナでもそんな悲劇がいっぱい起きていますが、なぜか昭和20年代に日本を占領した米軍兵士は驚くほど紳士的でした

これほど紳士的な占領は、世界史でもほとんど例が無い

戦争に負けて占領されるなら、民度の高い紳士的な文明国に占領されるべきで、民度の低い野蛮な国に占領されると、虐殺や強姦などでトンデモないことになります

もしあのとき、ロシア(ソ連)が日本占領軍に加わっていたらと考えると、ゾッとします

物語の舞台は戦前戦後(たぶん昭和15~25年くらい)で、撮影は昭和20年代後半

私が生まれる前の東京の情景が多数登場しますが、ここがどこなのかほとんど分からないほど、東京の風景は昔も今も激変し続けています

下の写真は千駄ヶ谷駅で、後ろは新宿御苑のはず

位置関係は分かるのですが、こんな木造駅舎は見たこともないです

((((;゚д゚))))

 

▲木造の千駄ヶ谷駅

まだ駅前の高速道路も無い

 

▲千駄ヶ谷駅で待ち合わせた直後の場面だから

富岡とゆき子が歩いているのは新宿御苑

すでに歩道が、ちゃんと整備されてますね

 

▲ゆき子が住んでいる焼け跡バラックのボロボロの家

電気も無くてローソク照明だが、壁に貼ってある段ボール箱!

クリネックス・ティシューって、この頃からあったの?

リバイバル 下妻物語

なつかしい映画「下妻物語」がリバイバルだそうです

2004年公開だから、もう20年前、そのころに観た記憶があります

茨城県の下妻に住む、ロリータとヤンキーという、一見すると正反対のタイプの女の子二人が、不思議な友情で結ばれる

超マイペースのロリータ少女(深田恭子は、はるばる代官山までロリ服を買いに行く

20年前の代官山は流行の最先端だったけど、今は少しさびれているそうです

対するイケイケ暴走族のヤンキー少女(土屋アンナ

茨城県といえば、ヤンキーの本場ですからね

その特攻服の仕入れ先は地元の「ジャスコ」

もう「イオン」になって消えちゃった、あのジャスコ

深田と土屋、二人とも超ハマリ役で、実にいい映画でした

ゴスロリにヤンキー、今でもいっぱいいますから、少しも古くなってない

(^_^;)~♪

 

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映画『下妻物語』リバイバル上映
上映日:2024年7月19日(金)~
監督・脚本:中島哲也
原作:嶽本野ばら「下妻物語」(小学館文庫刊)
出演:深田恭子、土屋アンナ、宮迫博之、篠原涼子、阿部サダヲ
鑑賞料金:通常料金
場所:渋谷ホワイトシネクイント
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷パルコ8階

 

▲ゴスロリ服

 

▲特攻服

 

古い動画をAIでカラー化 海軍記念日

最近、古い動画をAIでカラー化するのが流行っています

上の動画は、昭和18年5月の海軍記念日に、東京都内をマーチングバンドが行進しています

81年前の動画なので多少画質が悪いとはいえ、最近撮った動画のようなリアリティ

白黒とはまるで違って、その場の雰囲気が伝わってきます

東京駅の周囲に高層ビルが皆無ですが、皇居前や靖国神社は今と余り変わらない

現在の秋葉原駅近くの万世橋駅も映っていますね(動画では「神田」と表示)

ここは駅こそ無くなったけど、駅舎はかなり現存しています

敗戦まで2年3か月ですが、人々の姿形にはまだ余裕が感じられます

金管楽器がキラキラ輝いていて、華やかさもある

このあと映っている人たちの多くが、地獄を見たり、亡くなったりした訳です

((((;゚д゚))))

 

映画「残菊物語」 歌舞伎界のボンボンの転落悲恋ストーリー

溝口健二監督作品「残菊物語」、1939年(昭和14年)公開

古い映画なので画質音質は劣悪だが、思わず引き込まれる

歌舞伎界名門のボンボン、二代目尾上菊之助(花柳章太郎)と、それを支える健気な恋女房(森赫子)という、身分違いの恋を描くロミジュリ物語

歌舞伎界は今でも家柄がものを言うほど超保守的だが、映画の時代背景は封建主義ガチガチ、親の許さぬ恋愛など犯罪と同列に見られていたころで

「親がいけねぇって言ったら、いけねぇんだ!」

という江戸っ子風のセリフに全てが集約されている

それでも反対されればされるほど、恋の炎は燃え上がる

親(先代)に楯突いて東京の歌舞伎界から追放されたボンボンは、関西歌舞伎、さらにドサ回りの旅芸人一座に加わり、恋女房と一緒に泊まる今晩の宿にも困るほど経済的に窮迫する

大部屋に雑魚寝(ざこね)という超安宿に泊まり、一晩1円80銭で貸し布団を借りる場面は究極のリアリズム

世間知らずの金持ちのボンボン(若旦那)が、芸者や身分の低い女にホレて親に勘当され、浮き世の冷や水を浴びて苦労するという話は、昔から貧しい庶民に非常に好まれた

江戸時代の落語などにも似たような話が多い

本人のボンボン(若旦那)には、生まれて初めて味わう貧しい暮らしが貴重な人生経験になり、歌舞伎役者だからまさに「芸の肥やし」になりそう

物語の時代背景は、明治時代半ばくらいだろうか?

すでに鉄道や電灯もあるのだが、庶民の暮らしや風俗は、今から見たら江戸時代そのものといった感じで、私の民俗興味を大いに満たしてくれる

イギリスの鉄道みたいなコンパートメント型の列車が、駅(おそらく当時の新橋駅?)を発車する場面や、歌舞伎の劇場(芝居小屋)の内部構造が、今とは別世界のようで非常に面白い

当時の鉄道とか芝居小屋は、比較的裕福な人たちの世界だと思うが、その周囲にいる庶民の暮らしは非常に貧しく、日常生活では電灯もなく石油ランプを使っている

貧しい美女が玉の輿(たまのこし)などで社会階層を急浮上する話(「マイ・フェア・レディ」など)と、金持ちのボンボン男が社会階層を急転落する話は、どちらも庶民ウケする鉄板のストーリーのようです

上の動画はYoutubeにあったんだけど、もう著作権が切れているのか、全編無料で観れます

映画の中のお座敷で二人の芸者が、転落する前のボンボン(若旦那)の取り合い口論をする場面があります

そこで「柳橋」(やなぎばし)という地名が出る

一人の芸者が、着物の端を少しめくって二の腕を見せるのですが、この所作にも深い意味があります

東京にはかつて高級料亭が並ぶ花街があちこちにあって、その代表が

東京六花街:柳橋、新橋、赤坂、神楽坂、浅草、芳町(現在の人形町)

今でも柳橋以外には、それらしき雰囲気が少し残っていますね

今なら、銀座のクラブ街、六本木や新宿のキャバクラ街でしょうか

東京六花街の最高峰が「柳新二橋」と呼ばれていた柳橋と新橋で、しかも柳橋の芸者の方が格が上だったそうです

その柳橋の花街は衰退を続けて、最後の高級料亭が今から20年くらい前に廃業、風と共に消えていった花街文化

今では東京の下町によくある、ごく普通の静かな街並みになっています

人間と同様に街にも浮き沈みがあって、何やら栄枯盛衰の悲哀を感じます

(^_^;)

 

 

映画 アニーホール

▲アニーホール

今日は午後から東京にも雪が降り出して、寒いので外出せず、部屋にこもって映画を2本観ました

1本目は、ウディアレンの「アニーホール、映画史に残る名作

1977年だから、ほぼ半世紀前の映画で、観るのは数回目

ウディアレンが監督と主演で、彼の最高傑作と言われている

フロイトや左翼思想、マクルーハンがもてはやされていた当時の時代性を強烈に感じるけど、それを超えた永遠の魅力がある

まだ米国に深刻な移民問題とか無くて、NYに落ち着いた都会生活があり、その中でのインテリ男女の大人の恋愛関係をホンワカと描く

ナーバスなインテリ特有の不安やイライラが、ユーモラスに伝わってくる

フロイトがらみで、子どものころの思い出シーンもある

役を演じながら観客に話しかけたり、ポールサイモンやマクルーハン本人が登場したり、ホンネとタテマエの2種類の字幕も面白い

アニーホール役のダイアンキートンの服装やヘアスタイルが、今見ても古さを感じないのがスゴい

ウディアレンは今88歳だけど、ごく最近まで女優と恋愛ネタでニュースになっていたほど女性関係がずっと派手(あの頭髪を見れば何となく分かるが)

2本目は、グッド・ウィル・ハンティング、駄作だった

生育環境が悪くてグレてる天才、という設定にひかれて観た

MIT(米国の超一流大学)の数学科授業で超難問の課題が出るが、学生は誰も証明出来ず、大学で掃除夫をしている若者(学生ではない)がサラッと証明してしまうところから話が始まる

この若者は、悪友とつるんでケンカばかりしているが、フィールズ賞(数学界のノーベル賞)を受賞した数学者(MITの教授)が嫉妬するほどの超天才だった

モーツアルトとサリエリの関係を連想する

確かに、数学とか芸術の超天才には、それ以外の日常生活能力は幼児並みという人もいる

その超天才っぷりが見れるのかと思ったら、期待はずれの安っぽいお涙頂戴ドラマになっていってガッカリ

最後は、カリフォルニアへ引っ越す平凡な女子学生を追って天才を発揮できる就職を蹴るとか、まるで意味不明の展開

天才を扱った映画なら、チューリングを扱った「イミテーション・ゲーム」が秀逸

(^_^;)

 

「風と共に去りぬ」映画と小説を味わう

1)映画「風と共に去りぬ」

大晦日の夜から年越しで、映画「風と共に去りぬ」を観た

4時間の長編映画なので、休憩しながら観ていたら元日の朝になった

この映画は私にとって「人生の友」と呼んでも過言ではないほど別格の存在

20歳ころに初めて観て以来、これまでに20~30回くらい観ている

観るたびに「生きる勇気」が湧き起こってくる不思議な映画だ

私の中でこれを超える映画は、たぶん永久に出ないだろう

上のYoutube動画でも流れるテーマソング「タラのテーマ」を聴くと、今も胸がジーンとしてしまい涙がにじんでくる

(T_T)

2)物語の時代背景と登場人物

時代背景は南北戦争前後のアメリカ南部で、現在の南東部、ジョージア州など、黒人奴隷を使った綿花の大農園が盛んだったエリア

当時は好景気で綿花への需要が伸びて、広大な綿花畑を所有する農園主たちは大儲けをしていた

成功した大農園主たちは、有り余る富によって大豪邸を構え、ヨーロッパの王侯貴族にも負けないようなリッチな生活をしていた

そこの長女に産まれ、なに不自由ないお嬢さま生活をしていた少女、スカーレット・オハラがこの映画の主人公で、女優ヴィヴィアン・リーが演じている

映画の冒頭、15歳の娘役を当時26歳のヴィヴィアン・リーが演じるので、やや無理があるのだが、何しろ大河ドラマでストーリーは中年になるまで続くから、26歳くらいが適任だったのだろう

当時の女性の結婚適齢期は15歳くらいで、美貌で名高いスカーレットのもとには、南部中から結婚の申し込みが殺到していた

だがやがて南北戦争が起こり、南部は敗北して大農園主たちはすべてを失うことになる

もちろんお嬢さまスカーレットも落ちぶれ果てて、毎日の食料にも不自由する

「風 wind」とは南北戦争のことで、「去りぬ gone」とは、古き良き南部の華やかな生活(ライフスタイル)が永遠に滅び去り消えてしまうこと

そんな激動する時代背景の中で、戦争前のスカーレットは、隣の大農園の長男アシュレー・ウィルクスに片思いする

ウィルクス家はいとこ同士を結婚させるのが伝統で、アシュレーはいとこのメラニー・ハミルトンと結婚してしまうのだが、スカーレットはアシュレーを諦めきれない

そしてたまたま園遊会で出会った男レット・バトラーが、スカーレットに一目惚れ

そんな男女4人が三角関係、四角関係で付いたり離れたりしながら、激動の時代を生き抜いていく物語

3)整理するとこんな感じ

スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)気の強いワガママお嬢さま

レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)荒っぽい南部の男だが、生活力にあふれる

アシュレー・ウィルクス(レスリー・ハワード)教養ある紳士だが、生活力に乏しい

メラニー・ハミルトン(オリヴィア・デ・ハヴィランド)心優しい淑女(レディ)

単純に言えば、男らしくてたくましい男がレットで、優しさと気品にあふれた淑女がメラニー

映画を初めて観た人のほとんどが、まずこの二人を好きになり、スカーレットは「いやな女」と見られがち

主役が「いやな女」というのは、最近の映画なら時々あるが、当時としては珍しかったのではないか

それだけ「風と共に去りぬ」が、非常に現代的な感覚の物語であるとも言える

実際、80年前に作られた映画で、さらにその80年前の戦争を扱っているのだが、いま観てもまったく古さを感じない

スカーレットが愛するアシュレーは、文学や芸術を愛する教養人だが、現実生活では頼りない夢想がちのダメ男で、イメージとしては太宰治を高貴にしたような感じ

太宰治がそうだったように、ダメ男にトコトン惚れてしまう女もいる

私は男だからよく分からないが、母性本能を刺激するような何かがあるのだろうか?

そんな世間的にはダメ男のアシュレーに惚れ込んで、アシュレーがメラニーと結婚した後もアシュレーを追い回すスカーレット

よく俗に

女にとって最高の男とは「最初の男」 つまり初恋の相手

男にとって最高の女とは「最後の女」 つまり現在の相手

などと言うが、スカーレットは持ち前の気の強さを発揮して、初恋の相手(しかも片思い)のダメ男アシュレーをどこまでも追いかけ回す

4)南北戦争と当時の戦争観

時代背景となったアメリカの南北戦争は、1861~65年で、日本では幕末

人類史上初めて、近代的な機械技術が兵器として戦場に大量投入された

この戦争は、一次大戦の前には史上最大の戦争で、総計70~90万人が亡くなっている

それまでの戦争は戦死者も少なく、男たちが自分の勇気を示す晴れ舞台と見られており、ちょっとしたお祭り、あるいは園遊会のように華やいだイベントと思われていたようだ

映画の冒頭でも、スカーレットと一緒にいた二人の若者が

「戦争になるなんて、ワクワクするね!」

と話していて、戦争に興味のないスカーレットをウンザリさせている

実際、当時のそれまでの戦争は、紳士と紳士の一騎打ちのような感じで、戦場での死亡率も非常に低かった

なんだか日本の鎌倉時代あたりの戦争で、「やあやあ我こそは・・・」とやっている牧歌的な光景が浮かんでしまう

「映像の世紀」というテレビ番組で、第一次大戦直前を写した場面を見たことがあるが、みんな戦争が始まると言って、お祭りの前みたいに大はしゃぎして浮かれている

第一次大戦が始まったのは7月末だったが、

「こんな戦争は、クリスマスまでに終わる」

などとノンキなことを言っている

だがそれから4年間、戦場での死亡率は急上昇し、人類は地獄を見た

どうやら「戦争は悲惨なもの」というイメージが出来たのは、ごく最近100年ちょっとのことのようだ

産業革命によって生み出された大量の機械兵器が、どれほどの殺傷力を発揮するか

それを戦場で実際に体験するまで、人類は想像(イメージ)出来なかった

それほど人間の想像力(イマジネーション)は、頼りにならないもののようだ

歴史的に「人類の三大戦争」を選ぶなら、南北戦争、一次大戦、二次大戦ということになると思うのだが、どれも4年くらいで終わっている

勝者が敗者を破壊し尽くしたり、厭戦気分が蔓延するには、4年くらいかかるということか

反論も多かろうが、男女の恋愛感情が冷めるのも4年くらいと言われており、ここでも

「戦争と恋愛は似ている」

(始めるのは簡単だが、終えるのが難しい)

という法則は有効で、人間の熱情の寿命は4年くらいのようだ

5)日本との関係

南北戦争は日本とも無関係ではない

南北戦争の始まる8年前の幕末1853年に、米国艦隊のペリーが黒船に乗って日本に来て開国を迫った

南北戦争1年前の1860年には、桜田門外で水戸浪士などによって大老井伊直弼が暗殺されている

日本が明治になって近代国家がスタートしたのが1868年(明治元年)

日本の開国に大きな役割を果たしたアメリカだが、不思議なことに、途中から日本での存在感が無くなっていく

そして当時の日本に大きな影響を与えた国が、イギリスやフランスになっていく

それはアメリカが南北戦争に突入して国内が大混乱、日本に構っている余裕が無くなったからだ

南北戦争が終わって12年後の1877年(明治10年)に西南戦争が起こり、日本も国を二分しかねないような大きな内戦をしている

アメリカ南北戦争というと、日本の幕末で大昔のことと思われがちだが、アメリカ国内の南北対立はその後も尾を引いており、現在の大統領選挙などにも影響を及ぼしている

6)小説「風と共に去りぬ」の出版と映画化

小説「風と共に去りぬ」は、マーガレット・ミッチェルによって書かれて、1936年(昭和11年)に出版された

執筆に10年近くをかけた大作で、出版翌年にピューリッツァー賞を受賞してベストセラーになった

すぐに映画化が着手され、1939年(昭和14年)に劇場公開

真珠湾攻撃が1941年(昭和16年)だから、わずか2年前

当時の日本映画は、まだ活動写真といった感じの画質の悪い白黒映画ばかりで、世界的にもまだ白黒映画が主流の時代だった

そんな時代にカラー(総天然色と呼んでいた)の4時間もの高画質映画を作った当時のハリウッドのパワーと言うか、アメリカのパワーにはスゴいものがあった

そんな国にケンカを売った日本という国も、別な意味でスゴいものがある

実際いま観ても、その画質の良さは最近の映画と遜色なく、これが戦前の映画なのかと驚く

今では「風と共に去りぬ」と言えばヴィヴィアン・リーというくらいハマリ役な感じがするが、当初は別な女優が予定されていたらしい

戦前の価値観で作られた映画なので、奴隷制度を美化しているなどの批判を浴びているが、現在の価値観で過去を批判するのは、頭の悪い中学生にでも任せておけばいいと思う

7)小説を読む

それで昨日1/6から、小説「風と共に去りぬ」を読み始めている

原作を読むのは、もちろん初めてだ

映画では省略された物語の詳細が分かって、ミステリーの伏線回収と言うか、種明かしを読んでいるようで非常に面白い

スカーレットの父は、大農園主で大金持ちなのだが、実は21歳のときに着の身着のままの無一文に近い状態で、故郷アイルランドから新大陸アメリカへ移民してきた(官憲に追われる身となり、逃げるように移民した)

そこから勤勉と才覚によって、一代で巨万の富を築いたというサクセスストーリー

なんだか映画「ゴッドファーザー」の主人公、イタリア移民のヴィトー・コルレオーネを思い出す

地元のシシリー島のヤクザ(マフィア)に命を狙われて、無一文で逃げるように移民したところもよく似ている

スカーレットの父は1800年ころの生まれ、ヴィトー・コルレオーネは1891年生まれという設定だから、約1世紀のズレがあるが、貧しい移民が演じたアメリカン・サクセス・ストーリーとしてよく似ている

そして現在でも、アメリカン・ドリームを夢見て、世界中からアメリカを目指す若者たちがいる

スカーレットの母は、さらに前の時代に移民してきたフランス系で、南部の厳格な旧家のお嬢さま

しかもこの夫婦、年の差28歳!

今は大富豪と言っても、氏素性の知れぬ成り上がり者の男が、なぜはるか年下の旧家のお嬢さまと結ばれたか、これ自体が一つのドラマになっている

「風と共に去りぬ」の大きなテーマに「土地に対する愛着」があるのだが、ここにスカーレットの父のアイルランド人気質が深く関わってくる

スカーレットの父が少女時代のスカーレットに向かって言う

「この世の中で、汗の流し甲斐があり

 死に甲斐があるのは、土地だけだ!」

この言葉の背後には、アイルランド人が味わった苦難の歴史がある

この親子の大農園があったのが、ジョージア州の「タラ」という土地で、架空の地名なのだが、今でもタラがあったとされている場所には観光客が押し寄せている

そして映画「風と共に去りぬ」の主題歌が「タラのテーマ

このブログ記事の一番上にあるYoutube動画で聴けます

ジョン・F・ケネディが初めてアイルランド系のアメリカ大統領になったとき、アイルランド系アメリカ人には、どのような感慨があったのだろうか

1400ページ以上もある大作で、まだ1割くらいしか読んでいないから、まだしばらくワクワクしながら楽しめそう

(^_^;)