永井荷風の偏奇館があった場所の近くに、大倉集古館という美術館がある
明治大正期に大倉財閥を創業した大倉喜八郎が、そのコレクションを展示するため、自邸の一角につくったもの
大倉集古館は、そのうち観に行こうと思いつつ、まだ行っていない
コルビュジエは上野の西洋美術館を設計した、20世紀を代表する建築家
そのコルビュジエは、建築だけでなく絵画も残しており、その展覧会が大倉集古館で開かれている
実はコルビュジエ、元々は画家を目指していたが、
ピカソに出会ってその才能に圧倒され、建築家に転じた
とも言われている
作曲家の平尾昌晃も、かつて歌手を目指していたが、藤圭子に出会ってその歌唱力に圧倒され、歌手を諦めて作曲家に転じたと言われている
コルビュジエも平尾昌晃も、転じた先の分野で才能を発揮して一流になっているから、もともと大変な天才だった訳で、
天才が「もっとスゴい天才」に出会った
という話だ
凡才が天才に出会って挫折するのは余りにもありふれた話だが、天才が天才に出会うとドラマが生まれる
正直言って、ピカソの絵のどこがスゴいのか、凡才の私にはよく分からない
さらに岡本太郎になると、そこらの子どもの絵との違いが、私には分からない
藤圭子の歌唱力がスゴいのは私にも分かるが、抽象絵画とか現代音楽の世界になると、私にはよく分からない「天才」がいっぱいいる
天才がその進路を変えるほどの影響を受けた「もっとスゴい天才」なんだから、たぶんスゴいんだろうけど、分からないものは分からない
歴史をたどれば、天才が生存中にその才能を世に認められるのは、ごく最近までめったにないことだった
無視されるくらいならまだマシで、周囲から奇人変人として村八分になったり、火あぶりの刑で処刑されたりもしている
現在のような自由主義競争経済では、天才の才能が企業や国家の盛衰を左右するので、社会が必死になって天才を探している
天才にとっては幸せな時代だが、富や名誉が天才に集中しすぎて、凡才にはつらい時代になりつつあるようにも思える
(^_^;)~♪
▲ピカソとコルビュジェ