▲よど号 1970年の大阪万博(EXPO’70)が開催中だった
すでに戦後25年、日本経済の高度成長や所得倍増が進み
上の写真の乗客たちの服装を見ると、極端な貧しさは消えている
その経済的成功の象徴的祭典が、大阪万博(EXPO’70)だった
東アジア反日武装戦線の大量虐殺犯人、桐島聡(70)は、
「自分は桐島聡、最期は本名で迎えたい」
「海外で逃亡生活をしていたが、
最期は日本がよかった」
などと言っている
桐島聡は「ウチダヒロシ」という偽名を使い、数十年前から神奈川県内の土木工事会社に住み込みで働き、勤務先にほど近い古びた木造2階建て住宅に一人で暮らしていた
言葉数は少なく、周囲と交流している様子もうかがえなかった
最近、神奈川県鎌倉市の病院に末期がんで入院した
半世紀前の20歳前後の若き日に、たまたま出会った共産主義(共産教カルト宗教)に洗脳されてしまい、一生を棒に振った
多数の善良な人たちを虐殺し傷つけているので、同情する気分には全くなれないが、時代の流れに翻弄された哀れな人生そのもの
こんな男でも「最後は日本がよかった」と言う
指名手配中の海外逃亡が本当なら、偽造パスポートを使ったりして、空港での入出国審査には、かなりの逮捕リスクが伴う
それでも日本に戻りたかったのか?
東アジア反日武装戦線のテロリストだよ!
中国人は外国へ行くと、華僑となってその国に骨を埋めることをためらわない
それに比べると、遣唐使時代の阿倍仲麻呂など、日本人の「望郷の念」には格別なものがあるように思える
▲阿倍仲麻呂 ▼望郷の詩
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも
天をふり仰いで見れば月がのぼっている
あの月は(奈良の)春日の三笠山の月と同じものだろうか?
1970年によど号ハイジャック事件という似たような凶悪事件が起き、過激派の日本赤軍メンバー9人が日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮へ亡命した
このときの犯人のうち4人が、日本で言う後期高齢者となって、今でも北朝鮮国内で生存している
共産主義(共産教カルト宗教)を信奉しての亡命だったから、北朝鮮の共産主義政府から犯人たちは歓迎され、「北朝鮮の上級国民と同程度の豊かな暮らし」をしている
犯人たちはまとまって広い住宅に住み、日本の衛星放送などを受信して、テレビ番組も楽しんでいる
それでも後期高齢者となった犯人たちの「望郷の念」は深まるばかりで、日朝両政府へ帰国願いなどを出している
もちろん、日本との外交交渉における「貴重な人質」である犯人たちを北朝鮮政府が手放すはずもなく、このまま異郷の土となる運命
仮に帰国できても、海外逃亡中は時効が進まないので今でも指名手配は有効で、戻ったら即座にオリの中に収監されて死ぬまでムショ暮らし
「北朝鮮の上級国民と同程度の豊かな暮らし」は不可能になる
北朝鮮の平均的な人民の暮らしは、日本のムショ暮らしよりもはるかに劣悪だが、彼らはそれよりマシな「北朝鮮の上級国民と同程度の豊かな暮らし」をしている
現在も生存中の犯人4人のうちの一人、小西隆裕(79、写真)は、都立小石川高校から東大理三に合格し、よど号事件のときは東大医学部に在学中だった秀才
共産主義(共産教カルト宗教)なんぞに洗脳されていなかったら、充実した人生を歩んだかもしれない
せっかく与えられた才能を、ドブに捨てたような人生
((((;゚д゚))))
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追伸 半世紀も逃げてた桐島聡(70)
あっけなく死んじゃった
長い間の地下生活、地上に出たらすぐに死ぬ
セミみたいな人生
死を目前にして「オレは桐島聡だ!」って
最後の承認欲求が吹き出した感じがする
人間って悲しいね (T_T)