断腸亭日乗の年齢別ページ数

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先日、もう何回目か忘れましたが、永井荷風の日記「断腸亭日乗」の全体を通しで読みました

日記の記述が充実していて読み応えのある年と、そうではないサラっと簡潔な年がありました

それで、荷風の年齢別の日記ページ数をエクセルで集計してグラフ化したのが上の図です

横軸の青い▲の数字が荷風の満年齢、赤い▲は偏奇館炎上で、荷風が書斎と蔵書を失った年(終戦の年)、縦軸がページ数です

40歳台半ば~60歳台半ばにピークが来ています

作家の主要な活動である小説の執筆には、ある程度の人生経験が必要なので、作家の活動(執筆)のピークは人生の後半に訪れることが多く、小説と日記の違いはありますが、上のグラフ(日記)もほぼ一致しています

音楽や美術のような純粋芸術、あるいは文学でも芥川龍之介のような天才肌の作家ですと、もっと若いころに活動のピークが来るのかもしれません

赤い▲の終戦の年(1945年)を過ぎるとガクっと落ちているのは、やはり偏奇館炎上で書斎と蔵書を喪失したショックと、間借り生活による執筆環境の悪化かと思われます

とにかく、雨が降ってもヤリが降っても、空から爆弾が落ちてきても、40年間1日も日記を休まなかった

もちろん、数日分を後からまとめて書いたりは、していたんじゃないかなぁとは思いますけど

そして荷風はそのまま老化を迎え、71歳以降は、「×月×日、晴、正午浅草」のような非常に簡素な記述が続きます

荷風が70歳のころ(1950年前後)、男性の平均寿命が50歳台後半でしたから、当時の70歳というのは現在の90歳くらいの「長生き感」だったのではないかと思われます

サザエさんの父(磯野波平)は54歳という想定で、昭和の途中までは、40歳を過ぎたら初老、50歳を過ぎたら完全に老人でした

このころ会社の定年は50~55歳でしたが、多くの人にとって定年後の人生は、現在ほど長いものではなかったようです

わずか半世紀ほどの違いですが、日本の平均寿命の伸びは驚異的です

最後の亡くなった年(1959年)の記述が少ないのは、亡くなったのが4月末で、日数が半年分以下しかない影響です

50歳から3年間と63歳の1年間が落ちていますが、これは理由がよく分からず、今後の関心テーマです

永井荷風の偏奇館へ

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