黒木瞳63歳

白人女性に比べると、日本女性は老けない言われています

まあこれは「客観的事実」と言っても良さそう

その中でも「女優」と呼ばれる人たちには、驚くほど「老けない女」がいる

吉永小百合(79)あたりが、そのトップかな?

1945年3月13日生まれですから、なんと第二次大戦中、東京大空襲の3日後のお生まれですよ

先日イギリスを訪問された両陛下は現地で大歓迎を受けられましたが、雅子さま(60)の知性と若々しい美しさには、イギリス中が度肝を抜かれたようです

白人女性は、若いうち輝くように美しい人もいるけど、たいてい驚くほど早く老ける

若い繁殖期に一点豪華主義でいくか、寿命全体の最適化を狙うか、この辺は生き物の生存戦略、子孫繁栄戦略として、生物学的には面白いテーマかもしれません

これには、日本人の「カワイイ好き」も関係していそうです

実際、日本人女性は白人から見ると、お年ごろの女性でも、かなり若く(幼く)見える

二十歳過ぎた日本人女性が、海外で中学生に間違えられることは少なくない

日本人の男も、いわゆる「美人系」より「カワイイ系」を好む人が多い

大人っぽい「美人系」は、男女の恋愛マーケットでは、「カワイイ系」より不利になりがち

キャバクラとかガールズバーへ行くと「カワイイ系」ばかり

23歳くらいがカワイイの限界のようで、実質的な退職年齢になっているようです

ただね、上の黒木瞳の写真の解説記事(↓)、スポーツ報知なんですけど、ちょっと媚びへつらいがヒドくて、提灯(ちょうちん)記事すぎるような気もします

63歳の女をつかまえて「少女」の連発は、ちょっと白けます

まあマスコミの腐敗堕落ぶりは、こんなことだけではないし、新聞もテレビももうすぐ世の中から消えて無くなる訳ですから、どうでもいいことかもしれません

(^_^;)~♪

 

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女優の黒木瞳(63)が7/16でに自身のインスタグラムを更新し、久しぶりに近影をアップした。

4/3以来、約3か月半ぶりの投稿。

「お元気ですか?猛暑の夏ですが、どうぞお健やかにお過ごしくださいね」

と記し、黒髪にチェックのブラウス姿でさわやかに笑う姿を見せた。

ファンは

「か、かわいすぎます」

「完全に少女じゃん!!!」

「何だか少女のよう」

少女にしか見えません」

「誰かと思いました」

「宝塚時代から全く歳をとりませんね」

「いつまでも変わらぬ美しさ」

「銀河系1番の美しさ」

と若々しい黒木の美ぼうに仰天していた。

 

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ブルック・シールズ 1965年5月31日生まれ

右の写真は、55歳のときのもの

むかし            いま

Brooke-Shields

天皇陛下は若かりしころ、ブルックシールズのファンだったそうですが

左がプリンセスならいいのですが、右が皇后陛下というのは想像しにくい

日本国民の一人としては、雅子さまで良かった~と思います  (^_^;)

 

映画「浮雲」を観る

 

昨年の秋に作家の林芙美子に興味を持って、新宿の林芙美子記念館などを訪ねたりしていた頃から、早く観たい映画だと思いつつ、やっと今日いま鑑賞しました

原作はまだ読んでいないので、その評価はできませんが、さすが日本映画を代表する名作だけあって圧倒されました

あの小津安二郎監督が、自分にはとても作れないと評価した映画が、溝口健二監督の「祇園の姉妹」と成瀬巳喜男監督の「浮雲」だそうです

私はフランス映画がダイスキでいろいろ観ていますが、世界の映画界で米国ハリウッド映画とは全く異なる独特な世界観を持った映画群となると、日本映画とフランス映画が双璧ではないかと思っています

フランス側もそう思ってるようで、フランス人の映画監督で、日本映画から強い影響を受けた人は少なくないようです

フランス人は極めてプライドが高く、フランス以外の国をたいてい馬鹿にしていて、さすがにイギリスは同レベルの先進国として評価していますが、アメリカとかドイツは田舎者扱い

そんなフランス人が、日本文化には一目置いているのは大いに結構なことです

林芙美子原作の映画では、すでに「放浪記」を観ましたが、こちらは大正~昭和初めが舞台で、作者林芙美子のパワフルさが前面に出て、貧しいながらも活力にあふれた作品

対する今日の「浮雲」は、戦前~戦後の混乱期の、男と女の関係をもっと静かにしっとりと描いています

どちらも高峰秀子主演で、パワフルな役も静かな役も、見事に演じています

女優ですから美人なのは当然として、どちらかと言えばカワイイ系の高峰秀子が、単なるカワイコちゃん演技ではなく、実に驚くほど表情の豊かさを見せています

最近1世紀以上の日本映画の歴史の中で、これほど表情豊かな(つまり演技力が高い)女優は、そうそういないように思われます

「浮雲」のストーリー自体は割と単純で、農林省の役人富岡(森雅之)が戦前戦中の仏印(ベトナム)の森林管理事務所に勤務し(たぶんノンキャリ)、そこで働いていたタイピストゆき子(高峰秀子)と恋に堕ちる

そして終戦と共に二人はボロボロになって別々に日本に戻るが、富岡には日本に妻がいて、ゆき子との約束(いずれ妻と別れる)を守らないという、実によくあるパターン

しかも富岡は、目の前に現れる女に、次から次へと目移りしてゆく

そんな優柔不断で生活力に乏しいダメ男の富岡だが、ゆき子は何がいいのか(たぶんカラダの相性がいいんだろうけど)そんな富岡と別れられずに追い求め続けるし、富岡もズルズルと不倫関係を続けます

何やら、「風と共に去りぬ」のスカーレットとダメ男アシュレーの関係を思い出します

この種のダメ男を好きになる女は世の中に多く、男である私から見ると何ともフシギなのですが、たぶんその頼りなさが母性本能を刺激しているのかな?などと思ったりもします(永遠の謎)

「この人は、私がいないとダメな人なの!」などと言い張る女を見ると、男でも時には頼りなさが武器になったりするんだなぁと思います

そして「お前が甘やかすから、ダメなままなんだよ」などと言ってやりたい衝動にもかられます(バカバカしいから、そんな野暮は言わないけど)

ゆき子は生活のために紳士的な米兵の情婦(パンパン)になったりして、この辺の「焼け跡闇市」の情景描写には興味を引かれます

ふつう戦争に負けて占領軍(進駐軍)が入って来ると、虐殺とか強姦が山ほど起きるのが世界史の常識で、現在のウクライナでもそんな悲劇がいっぱい起きていますが、なぜか昭和20年代に日本を占領した米軍兵士は驚くほど紳士的でした

これほど紳士的な占領は、世界史でもほとんど例が無い

戦争に負けて占領されるなら、民度の高い紳士的な文明国に占領されるべきで、民度の低い野蛮な国に占領されると、虐殺や強姦などでトンデモないことになります

もしあのとき、ロシア(ソ連)が日本占領軍に加わっていたらと考えると、ゾッとします

物語の舞台は戦前戦後(たぶん昭和15~25年くらい)で、撮影は昭和20年代後半

私が生まれる前の東京の情景が多数登場しますが、ここがどこなのかほとんど分からないほど、東京の風景は昔も今も激変し続けています

下の写真は千駄ヶ谷駅で、後ろは新宿御苑のはず

位置関係は分かるのですが、こんな木造駅舎は見たこともないです

((((;゚д゚))))

 

▲木造の千駄ヶ谷駅

まだ駅前の高速道路も無い

 

▲千駄ヶ谷駅で待ち合わせた直後の場面だから

富岡とゆき子が歩いているのは新宿御苑

すでに歩道が、ちゃんと整備されてますね

 

▲ゆき子が住んでいる焼け跡バラックのボロボロの家

電気も無くてローソク照明だが、壁に貼ってある段ボール箱!

クリネックス・ティシューって、この頃からあったの?

リバイバル 下妻物語

なつかしい映画「下妻物語」がリバイバルだそうです

2004年公開だから、もう20年前、そのころに観た記憶があります

茨城県の下妻に住む、ロリータとヤンキーという、一見すると正反対のタイプの女の子二人が、不思議な友情で結ばれる

超マイペースのロリータ少女(深田恭子は、はるばる代官山までロリ服を買いに行く

20年前の代官山は流行の最先端だったけど、今は少しさびれているそうです

対するイケイケ暴走族のヤンキー少女(土屋アンナ

茨城県といえば、ヤンキーの本場ですからね

その特攻服の仕入れ先は地元の「ジャスコ」

もう「イオン」になって消えちゃった、あのジャスコ

深田と土屋、二人とも超ハマリ役で、実にいい映画でした

ゴスロリにヤンキー、今でもいっぱいいますから、少しも古くなってない

(^_^;)~♪

 

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映画『下妻物語』リバイバル上映
上映日:2024年7月19日(金)~
監督・脚本:中島哲也
原作:嶽本野ばら「下妻物語」(小学館文庫刊)
出演:深田恭子、土屋アンナ、宮迫博之、篠原涼子、阿部サダヲ
鑑賞料金:通常料金
場所:渋谷ホワイトシネクイント
住所:東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷パルコ8階

 

▲ゴスロリ服

 

▲特攻服

 

都知事選 小池三選 石丸健闘

まだ最終数字ではありませんが、都知事選の結果が出ています

大方の予想通り、「おい小池」が三選

前回選挙の公約を一つも実現せずの当選ですから、「公約って何なの?」という感じ

それだけ都民に危機感が乏しく、今の日本や東京の政治がいろいろ問題を抱えながらも、有権者は現状維持を選択したということで、それなりに悪くない社会が実現できている証(あかし)なのかもしれません

たしかに円安による物価高などもありますが、そのおかげもあって輸出企業を中心に日本経済は絶好調

経済崩壊が確実な中韓に比べれば、日本経済の強さは際立っていて、日銀が金利政策を変更すれば現在の円安が終わることはほぼ織り込み済み

川口あたりでクルド人が暴れてますが、移民で社会が崩壊しそうなヨーロッパに比べれば、まだはるかにマシ

戦争で毎日大量の人命が失われているロシア、ウクライナ、ガザなどに比べて、日本はアクビが出るほど平和そのものです

そこそこうまく回っているなら、いや多少の問題があっても致命的でさえなければ、現状維持が最適な選択、これは16世紀に「エセー」を書いたモンテーニュの言葉

確かに歴史を見れば、変革が変革前より悪い結果をもたらした例は山ほどあります

共産革命などまさにそれで、特権階級が貴族から共産党員に変わっただけ

反体制活動でつかまった場合、共産革命前ならへき地に移送される程度で行動は自由だったが、共産革命後は即座に処刑や拷問で、スターリンは数千万人、毛沢東は1億人近くを虐殺した

中世のキリスト教十字軍と並ぶ、狂気の大量殺人集団が共産党だ(殺した人間の数は、共産党の方がはるかに多いが)

そんな共産党に全面支援されたのが、今回3位の蓮舫

それはさておき、石丸が驚くほど健闘した!

安芸高田市長として注目を集めていたとはいえ、都政には全くの新人、それが「おい小池」の半分以上の得票

かれはまだ41歳で超若いですから、今後の政界で「台風の目」になるでしょう

「おい小池」が今後4年間の都政で、石丸に集まった改革派の意見を無視し続けることは難しくなった

そして第3位に共産党全面支援の蓮舫

中国共産党の工作員(スパイ)とか、習近平の犬とか、二重国籍犯罪者とか言われてますが、それでも2割の得票というのには驚きます

いったい、どんな人が蓮舫に投票しているのか、顔を見てみたい気もします

芸能タレント時代の知名度に加えて、反日野党(立憲、共産など)と反日マスコミ(朝日毎日NHKなど)が全面的に応援した結果ですが、まだあなどれない存在です

ちなみに3人の年齢をみると、41~56~71歳と、みごとに15歳きざみ

「おい小池」の四選は年齢的にキビシくなるが、「公約を守らなくても当選」の味をしめたから、今後4年間は公約に縛られず気楽なもんでしょう

蓮舫はもうすぐ還暦で、すっかり老けた

もう若さで売れる歳ではなくなったし、東アジア情勢の緊迫などで中韓嫌いの日本人が激増してますから、蓮舫の先細りは確実

実は蓮舫には隠れた目的があり、それが衆院への鞍替え(くらがえ)

政界では参院議員より衆院議員の方が「格が上」で威張ってられますから、権力欲の強い蓮舫は、格下の参院議員でいるのが耐えられなかった

都知事選立候補を口実に参院議員を辞め、次の衆院選を狙っている訳ですが、今回3位惨敗の結果を見て不安を感じていることでしょう

41歳の石丸は、政界では驚異的な若さで、まだ未知数の部分も多いですが、「台風の目」になって沈滞した日本の政界をかきまわして欲しい

50人以上が立候補した今回の選挙

都知事選は毎回「奇人変人大会」などとも呼ばれ、今回もなかなか個性的な面々がいましたが、3位と4位の間にはヒトケタの差がありますから、残りの泡沫候補へのコメントは略します

あと今回いろいろ話題になった選挙ポスターの掲示板

あれは税金の無駄づかいだから廃止するか、現在の10分の1以下に数を減らした方がいいと思います

いっぱい貼ってあったNHK党ポスターの

「NHKに受信料を支払う人は、馬鹿だと思います」

という主張には笑えましたけどね

それからフランスの選挙などで、1回目の投票で過半数の当選者がいない場合、上位2人で決選投票をやるという仕組み

これは日本も早急に取り入れて欲しいものです

投票を2回やる選挙コストは馬鹿にならないかもしれませんが、掲示板につかっている無駄な選挙コストに比べれば、はるかに有意義です

(^_^;)~♪

訃報 浜畑賢吉さん 81歳

私が初めてミュージカルの舞台を観たのは20代のころ

劇団四季の「コーラスラインだった

浜畑賢吉さんが主役と言うか、かなり目立つ役だった

前田美波里さん、市村正親さんも出ていた

最前列で観たので、浜畑さんの汗が飛んでくるような感じ

もうウン十年も前の話で、浜畑賢吉さんもまだ若かった

ミュージカルの舞台に立つには、体力がいりますからね

それで一時ミュージカルにハマって、劇団四季の会に入ったりして、ミュージカルの舞台もいくつか観たけど、結局「コーラスライン」が一番良かったように思います

ストーリーは、舞台に立ちたいダンサーのオーディション(選抜試験)で、まさにいま舞台に立って踊っている人たちにとって切実なテーマ

オーディションでは、誰にも平等にチャンスを与えられるが、そのチャンスをものにするかどうかは、100%本人の才能と努力しだい

まさに自由とチャンスの国アメリカを象徴するようなストーリー

これが日本の芸能界だと、親の七光りとか裏の人間関係とか、あるいは芸能事務所の力関係なんかで選抜されて、暗くウェットな感じになりがち

もちろん本当のアメリカ芸能界が、100%実力主義だけとは思いませんけど

「コーラスライン」は、今でもキャストを入れ替えて、劇団四季の看板ミュージカルとして続いているようです

(^_^;)~♪

警察官を逮捕 特別公務員暴行陵虐致傷

特別公務員暴行陵虐致傷(とくべつこうむいんぼうこうりょうぎゃくちしょう)という、オドロオドロしい罪名

なぜ50歳代という分別ある年代の警察官が、それほど激怒したのか?

暴行されたという女は、どんな態度をとったのか?

「無関係の施設に立ち入った」とあるので、この女は不法侵入の現行犯ではないのか?

「全治約1週間の軽傷」というのは、かすり傷程度なのか、もっと重い怪我なのか?

女が自分で首をひっかいて、被害を偽装したのではないか?

もし女が逃走をはかったのなら、身柄確保のため、多少は手荒な方法をとるのは、警察官に許される範囲内ではないのか?

痴漢でっち上げなんかもそうですけど、世の中には犯罪者のくせに被害者のフリをする悪党なんて、いくらでもいる

などといろいろ想像してしまうフシギな事件

(^_^;)~♪

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事情聴取中の女性に暴力を振るい怪我させたとして、警視庁は7/3、50歳代の警察官(代々木署地域課警部補)を特別公務員暴行陵虐致傷容疑で逮捕した。

捜査関係者によると、警察官は6/19、渋谷区内の交番で勤務中、事情を聞いていた20歳代の女の体を床に押さえつけるなどし、女性の首などに全治約1週間の軽傷を負わせた疑い。

女は無関係の施設に立ち入ったとして、施設関係者に連れられ交番を訪れていた。

警視庁は警察官が女の態度に腹を立て、暴行したとみて詳しい経緯を調べている。

コルビュジエ絵画展 大倉集古館

永井荷風の偏奇館があった場所の近くに、大倉集古館という美術館がある

明治大正期に大倉財閥を創業した大倉喜八郎が、そのコレクションを展示するため、自邸の一角につくったもの

大倉集古館は、そのうち観に行こうと思いつつ、まだ行っていない

コルビュジエは上野の西洋美術館を設計した、20世紀を代表する建築家

そのコルビュジエは、建築だけでなく絵画も残しており、その展覧会が大倉集古館で開かれている

実はコルビュジエ、元々は画家を目指していたが、

ピカソに出会ってその才能に圧倒され、建築家に転じた

とも言われている

作曲家の平尾昌晃も、かつて歌手を目指していたが、藤圭子に出会ってその歌唱力に圧倒され、歌手を諦めて作曲家に転じたと言われている

コルビュジエも平尾昌晃も、転じた先の分野で才能を発揮して一流になっているから、もともと大変な天才だった訳で、

天才が「もっとスゴい天才」に出会った

という話だ

凡才が天才に出会って挫折するのは余りにもありふれた話だが、天才が天才に出会うとドラマが生まれる

正直言って、ピカソの絵のどこがスゴいのか、凡才の私にはよく分からない

さらに岡本太郎になると、そこらの子どもの絵との違いが、私には分からない

藤圭子の歌唱力がスゴいのは私にも分かるが、抽象絵画とか現代音楽の世界になると、私にはよく分からない「天才」がいっぱいいる

天才がその進路を変えるほどの影響を受けた「もっとスゴい天才」なんだから、たぶんスゴいんだろうけど、分からないものは分からない

歴史をたどれば、天才が生存中にその才能を世に認められるのは、ごく最近までめったにないことだった

無視されるくらいならまだマシで、周囲から奇人変人として村八分になったり、火あぶりの刑で処刑されたりもしている

現在のような自由主義競争経済では、天才の才能が企業や国家の盛衰を左右するので、社会が必死になって天才を探している

天才にとっては幸せな時代だが、富や名誉が天才に集中しすぎて、凡才にはつらい時代になりつつあるようにも思える

(^_^;)~♪

▲ピカソとコルビュジェ

 

 

 

断腸亭日乗の年齢別ページ数

先日、もう何回目か忘れましたが、永井荷風の日記「断腸亭日乗」の全体を通しで読みました

日記の記述が充実していて読み応えのある年と、そうではないサラっと簡潔な年がありました

それで、荷風の年齢別の日記ページ数をエクセルで集計してグラフ化したのが上の図です

横軸の青い▲の数字が荷風の満年齢、赤い▲は偏奇館炎上で、荷風が書斎と蔵書を失った年(終戦の年)、縦軸がページ数です

40歳台半ば~60歳台半ばにピークが来ています

作家の主要な活動である小説の執筆には、ある程度の人生経験が必要なので、作家の活動(執筆)のピークは人生の後半に訪れることが多く、小説と日記の違いはありますが、上のグラフ(日記)もほぼ一致しています

音楽や美術のような純粋芸術、あるいは文学でも芥川龍之介のような天才肌の作家ですと、もっと若いころに活動のピークが来るのかもしれません

赤い▲の終戦の年(1945年)を過ぎるとガクっと落ちているのは、やはり偏奇館炎上で書斎と蔵書を喪失したショックと、間借り生活による執筆環境の悪化かと思われます

とにかく、雨が降ってもヤリが降っても、空から爆弾が落ちてきても、40年間1日も日記を休まなかった

もちろん、数日分を後からまとめて書いたりは、していたんじゃないかなぁとは思いますけど

そして荷風はそのまま老化を迎え、71歳以降は、「×月×日、晴、正午浅草」のような非常に簡素な記述が続きます

荷風が70歳のころ(1950年前後)、男性の平均寿命が50歳台後半でしたから、当時の70歳というのは現在の90歳くらいの「長生き感」だったのではないかと思われます

サザエさんの父(磯野波平)は54歳という想定で、昭和の途中までは、40歳を過ぎたら初老、50歳を過ぎたら完全に老人でした

このころ会社の定年は50~55歳でしたが、多くの人にとって定年後の人生は、現在ほど長いものではなかったようです

わずか半世紀ほどの違いですが、日本の平均寿命の伸びは驚異的です

最後の亡くなった年(1959年)の記述が少ないのは、亡くなったのが4月末で、日数が半年分以下しかない影響です

50歳から3年間と63歳の1年間が落ちていますが、これは理由がよく分からず、今後の関心テーマです

永井荷風の偏奇館へ

断腸亭日乗を読む(2)

▲浅草オペラ館の楽屋で踊り子に囲まれる

荷風は浅草の侘びて貧しげな雰囲気を好んだ

前回(6/2)、昭和3年まで読み、残り荷風が亡くなる昭和34年まで(30年分)を、今月(6月)いっぱいかけて読むつもりでしたが、早くも読み終えました

この期間は、昭和大恐慌から戦争、そして戦後の混乱という大事件が続き、まるで大河ドラマを観るようでした

荷風は頭痛腹痛など病気がちで医者通いが続き、昭和9年、医者からホルモン注射(ビタミン注射のようなもの?)を勧められてこれを受け始め、にわかに元気を回復します

日乗を読んでいると、独身の荷風の食生活は、ほとんど毎日外食

好き嫌いが激しい荷風ですから、栄養が相当に偏っていたのだろうと思われます

医者からも野菜をもっと食べるように言われるのですが、そんなアドバイスくらいで好き嫌いが直る訳もなく、そこに受けたホルモン注射ですから、即座に効いたのかもしれません

▲当時の浅草 手前左がオペラ館 クリックで拡大

元気になると、以前からの銀座浅草通いが再び頻繁になり、さらに荷風の作品を上演していた浅草オペラ館の楽屋に入り浸るようになります

荷風はオペラ館の館主から多少迷惑がられても、メゲずに毎日のように楽屋に現れます

ただのおっさんではなく、一応は芝居(オペラ)の台本の原作者ですから、さすがに館主も面と向かって「帰れ」とは言いにくい

芝居を原作した作家先生が毎日のようにやって来て、芝居がハネた後は食事をごちそうしてくれる訳ですから、踊り子たちには大モテ

若い女の子がダイスキな荷風は、ここを「天国のようだ!」と言っています

踊り子たちに囲まれてウレシそうにしている荷風の写真、それが有名作家のゴシップネタとして新聞や雑誌にたびたび載ったので、世間に「荷風=変人」という評判が染み渡ります

さらにこのころ散歩で下町の私娼窟「玉の井」(たまのい、下の地図の右上)を偶然に訪れ、そこの娼家の侘びた雰囲気にホレ込み、ここにも毎日のように通い始めます

このときの玉の井での経験が、荷風の代表小説「墨東奇譚」(ぼくとうきだん)になります

その後「墨東奇譚」は2回映画化され、私はその2回目の映画で永井荷風という作家の存在を知り、のめりこむきっかけになりました

荷風はこのころを、「わが最も幸福な時期」としています

▲私娼窟「玉の井」

映画「墨東奇譚」 右上は主演女優の墨田ユキ

やがて世界大恐慌と戦争の暗い影が、荷風だけでなく日本人全体の生活を追い詰めていきます

米軍の空襲(無差別爆撃)による直接的かつ物理的な破壊は昭和18~20年ですが、その前10年間くらい、日本の軍部独裁政権が国民生活の隅々まで統制圧迫の網をかけます

荷風はそれに憤り、米軍よりも日本軍人政府による被害の方が大きいと日記に記します

実際この期間の統制圧迫は、まさに重箱の隅をつつくように国民生活の細々した日常生活に及び、真綿で首を絞められるように国民は疲弊窮迫していきます

▲当時の「ゼイタクは敵だ」などの看板

日本人お得意の集団主義の悪い面が出て、「国家総動員」「ゼイタクは敵だ」などの勇ましいかけ声と共に、個人生活の自由や幸福を破壊することそのものが隠れた目的になっていきます

この期間、日ごろ成功者や幸福そうな人への嫉妬心を心に秘めていた連中が、ここぞとばかりに「正義の人」となって、政府のお墨付きをいいことに、弱い者イジメで憂さ晴らしをしていたようです

荷風も日記の中で、「日本人は世界で最も嫉妬心の強い民族だ」と糾弾しています

個人生活の重箱の隅をつつくような統制圧迫の実態は、余りにも細かすぎてここに要約など出来ず、ご興味があれば直接「断腸亭日乗」をお読みいただくしかないと思います

この期間の「断腸亭日乗」における日常生活困窮の詳細な描写は、近現代史の研究者からも貴重な史料として高く評価されています

やがて浅草オペラ館は取り壊しになり、私娼窟「玉の井」一帯は空襲で焼け野原になり、荷風の「わが最も幸福な時期」は終焉を迎えます

荷風の自宅「偏奇館」も、昭和20年3月の東京大空襲で炎上焼失し、荷風は自宅と蔵書を失います

荷風は知人宅などを転々とし、その先々も含めて合計3回も空襲に遭いますが、奇跡的に3回とも生き長らえます

戦後も知人宅への間借り生活が続くのですが、昭和27年に文化勲章を受章し、芸術院会員にも列せられます

それでも亡くなる直前まで浅草通いをやめなかった荷風

高齢になった荷風の日記は、「×月×日、晴、正午浅草」のような非常に簡素な記述が続き、最後の日記「四月二十九日。祭日。陰。」の翌日に満79歳で没しました

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なぜ荷風は、その蔵書を疎開(田舎へ避難)させなかったのか?

この理由を知りたくて、今回かなり強い関心をもって日記を読んだのですが、明確な説明はありませんでした

周囲の作家たちが次々にその蔵書を疎開させていることは、荷風の日記からもうかがわれますから、空襲で自宅「偏奇館」が焼ける危険性は荷風も十分に認識していたはずです

ただ、偏奇館が炎上焼失したあと、無一物になってセイセイしたようなことも日記に書いていますから、単なる強がりではなく、本当にわざと疎開させなかった可能性も完全には否定できません

変人と言われた人ですから、その深層心理の底にどのような思惑がうごめいていたかは、余人には知りがたいところです

書斎と蔵書を失った後の荷風は、執筆活動が停滞します

高齢で執筆がメンドウになったのか、書斎と蔵書を失って創作意欲が低下したのか、あるいは終戦前後の社会混乱で出版社の活動が停滞したせいか?

それでも断腸亭日乗だけは、毎日欠かさず書き続けます

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